棟方志功の版画作品。版木の型の矩形をそのまま生かしたデザイン。型にはめるのでなく、型を活かす。こういう発想の転換にはっとさせられる。
以前に書いた円空の彫刻なんかにも通じますね。
型がありながら自由である。一方で、型があるからこそ自由になれるのだ、ともとれる。
このへんの発想は、茶道なんかも同じことが言える。一定の型がガチガチにあるものの、そこに自分の個性を足すことで自由な表現が生まれるっていうような趣旨のことを武者小路千家の千宋屋さんも自著で書かれていた。
例えば、デザインの世界でいうと一定の「型」があって、そこからどう自由になるのか?というのがオリジナリティに通じるところだと思う。故にこの「型」をパクリとか引用とか言われてしまうと元も子もないのである。
ここでいう「型」をそもそも知識として持ち合わせていない人とはそもそも議論がかみ合わないのである。
逆に言うと、デザインとはこの「型」を知識として待ち合わせている人とのゲームであるともいえる。
「わかる人にわかればいい」というのはある意味正しくて、わかる人がだれなのかを意図して狙い撃つのが良いデザインということなのだと思う。