ブリットポップという言葉は、いまどきのヤングの間で通用するのでしょうか?いまどきのヤングと言ってる時点でアウトかもしれません。
ブリットポップとは、90年代の英国のロックバンド隆盛のムーブメントのことで、この頃に大学生していた私にとっては、ブリットポップ=青春なわけです。

そんなブリットポップ2大巨頭、ブラーとオアシス。ブラーの「Country House」とオアシスの「Roll With It」の世紀の同時発売ガチ喧嘩マーケティングの日にぼくはロンドンにいたんですよ。短期の語学留学ってやつでホームステイしてたんですが、そのステイ先の家でついてたTVのニュースとかでもどっちが売れるかって盛り上がってて、まさに社会現象ってやつでした。

今日は、そんなブラーのドキュメンタリー映画「ニュー・ワールド・タワーズ/ NEW WORLD TOWERS」を観てきました。

東京では、新宿ピカデリーのみ。しかもたったの2週間。おまけに朝・夜の2回上映だけという特別興業です。プレミアム感を演出するためにあえての単館、短期間の上映にしているはずもなく、単純にお客さんが入んないからですよね。そりゃそうだ。
社会現象にもなったバンドもあれから20年余りの時間が経っているのですから。

学生時代のある時期に特別に思い入れたスターがいたものの、その後卒業して、社会人になって仕事だなんだと忙しくなってしまい、ロックスターにうつつを抜かす時間もなかなか取りづらくなって20年近くも経った今。いろんなものを観て、聴いて、経験してきた40歳になった自分が見て、一体現在の彼らをどう思うだろうか?というのが今回の鑑賞のテーマでした。

この作品を通して私が思ったのは、
ミュージシャンであるというアイデンティティのある彼らはかっこいい。
ということです。

人気絶頂から20年経って、当時ほどの人気はないかもしれないけど、彼らにはミュージシャンであるというアイデンティティがあるからこそ、ぶれることがない。いい曲を生み出すという一点に存在意義を見出している様が見て取れてとても潔くシンプルでかっこいいと思わずにいられないのです。

これはミュージシャンに限られた話ではありません。「わたしは何者である」というアイデンティティがあるということは、生き方としてかっこいいし、とても強いと思うのです。
それが、料理人であっても、植木職人であっても、税理士であっても、学校の先生であっても、自分が何者かが語れる人がうらやましいです。

そして、40歳にして「わたしは何者か?」という問いに答えられない自分に正直萎えてしまいました。