金継ぎの修理に出していた飯碗が戻ってきました。
まさに「ジャーん!」という感じです。

小野哲平 作のこの器、壊れる前は一言でいうと素朴。その素朴さの奥に、力強さと繊細さ併せ持ち、無垢な美しさを感じさせるそんな器でした。
例えるならば、汚れを知らない田舎の女子中学生のような美しさを感じさせる器でした。
わが娘のようにかわいがりました。目に入れたら痛いけど、入れてみたいと思わせるくらいには愛していました。

そんな器が欠けてしまった時は、とてもショックでした。落ち込みました。自分を責めました。美しいものがこの世からひとつなくなってしまった。そんな喪失感と無常感を一身に背負うことになりました。

それがどうでしょう。あの田舎の女子中学生が、大人の女子(おなご)になって帰ってきたのです。

「都会に出て酸いも甘いも知ったわ。化粧だって上手になった。ブランドものの服だって好きよ。足の爪ににだってマニュキアするわ。ペディキュアって言うのよ。でも、私の芯の部分は何にも変わっていないの。私はわたし。」

という感じのこの佇まい。ほれぼれします。元々の美しさは内面に留めつつ、さらに別の美しさをまとって戻ってきたのです。

先日、修理前の記事でも書きました。金継ぎされるような人間になりたいと。

失敗しても、それをばねに頑張れる人になりたいと。
たとえ傷物になったとしても、そばにいて欲しいと思われる人になりたいと。

その思いを一層強くする、そんな器との再会でありました。