「三井家 伝世の至宝」展
@三井記念美術館
三井家のお宝ざっくざくを見れる展覧会。日本橋そのものが三井家のおひざ元。街歩きしながらこの街づくりはハンパないと思いつつ、そのお宝もやっぱりハンパないのです。
いきなり登場するのが肩衝茶入れ。こんな小さな小物入れが、戦国時代には一国と同じくらいの価値があったらしいです。戦争して敵を滅ぼした大名が、そのご褒美に主君から領地じゃなくて、茶入れをもらった方がうれしいとか、そんな世の中だったそうな。ものの価値観というものについて考えさせられるというか、ただただ遠い目になりますね。
さて、本展におけるぼくのお目当ては、なんといっても茶碗です。
黒楽茶碗「俊寛」。この重心の低さから胴がすっと立ち上がる感じがハンパなくかっこいいと思いませんか?実物の存在感がまた凄い。茶碗ひとつのはずなのに、宇宙の真理をコネコネして形づくったらこんなんでましたと言わんばかりのスケールを感じます。恐るべき茶碗です。銘の「俊寛」ですが、利休が名付けた数少ないものの一つとされています。弟子が利休に長次郎の茶碗を所望してきたので三碗を送ったところ、この一碗を残して他の二碗を返してきたそうです。俊寛という和尚が三人で島流しになったのに、他の二人は許されて一人だけ許されず帰ってこれなかったという故事に因んで、この銘が付けられたと言われています。銘もいかしてますね。
そんな黒楽茶碗「俊寛」ですが、実は普段使いとしてこの茶碗の写しをもっています。実物を見まして、うちのも結構いい感じじゃないかと感心しています。高台まわりのヘラの跡とか、胴の立ち上がりと少しのゆがみとか、なかなかどうして気分はでています。偽物だなんて卑屈にならずに、大事にしようと思います。
そもそも茶道の世界において「写し」とはとても重要なものだそうです。単なる模倣とか偽物ということではなく、いつか壊れる「モノ」ではなく、永遠に失われることのない「カタチ」を残すという尊い精神性が根底にあるという話を聞いたことがあります。それって茶碗や茶道に限らずだよなぁと思うわずにはいられません。
自分も娘たちに親としてなにか「モノ」ではなく「カタチ」を残せるのかなぁと不安になる今日この頃です。