「赤楽茶碗をつくる会」なる陶芸教室のイベントに参加してきました。

このイベントは、「21世紀鷹峯フォーラム」という文化庁を中心に官民一体となって、工芸を盛り上げていこうというプロジェクトの一環で行われました。

鷹峯とは、本阿弥光悦が江戸時代初期に京都・洛北の鷹峯の麓で芸術村をつくろうとしたことにちなんでいます。そこでは職人が物づくりにいそしみ、各種の名人・通人たちが集まったそうです。その理念を21世紀のつくり手と使い手のなかで実現することを願い、鷹峯の名が冠されました。そして100年後の工芸の未来のために今できることを行動しようという熱い想いからこの運動は生まれたそうです。

そんな高尚な理念の元で開かれたイベントですが、ぼくはと言うと単にミーハー心だけで参加してしまいました。
マイ楽茶碗持ってたら話のネタになるなぁという申し訳ないくらいの動機でありました。

でも、やりはじめるとかなり熱中しました。それこそ100年後に残すべき名碗を作っているかのような使命感に燃えながら一心不乱に作業に没頭しました。

楽茶碗は整形に電動ろくろを使いません。手びねりという手法で茶碗のかたちに整形していきます。それをヘラやピーラーのような道具で削って形を作っていきます。
ベースとなる整形までは教室の方で準備してくれてまして、そこから削りあげて自分好みの形にしていくまでが本日の作業となりました。

削って削って削りまくります。どんどん削っていくと、どんどん形が変わっていきます。それは形を整えるというよりは、分厚い茶碗のような物体の中から、一回り小さな茶碗を取り出すイメージに近いです。

なんか不思議な感じです。ものづくりって足し算して何か新しいものが生まれるのが普通だと思います。絵画にしたって、建築にしたって、料理にしたって、足していくことで完成に向かいます。

でも、この楽茶碗づくりで経験したプロセスは逆です。引き算することで完成に向かっていきます。
無駄なものそぎ落として、美しいものを見出していくという精神性と美意識がそこにはあるのです。

そんな高尚な気分に浸ったものの、仕上がったものはイケてないですね。おかしいなぁ……。まぁ気分だけでも味わえたということで良しとしましょう。

月末に第2回のイベントがありまして、そこで施釉して焼成することになります。楽しみです。