年初に行った展覧会「新兵衛の樂 吉左衛門の萩」展以来、十五代坂倉新兵衛の存在が頭を離れませんでした。十五代樂吉左衞門を凌駕するかのようなロックな樂茶碗に魅せられてからすっかりファンになってしまいました。

そして、マイ・ファースト・新兵衛。樂茶碗ではあれほどやりたい放題だった十五代坂倉新兵衛ですが、本来のフィールドである萩焼では見ての通り、これぞザ・萩茶碗の風貌です。大振りの井戸型の胴から、きゅっとしまった高台のプロポーションがなんとも言えずセクシーです。枇杷色のざらざらした土肌の胴に浮き出た斑点のような景色が悠久の美しさを感じさせ時間を忘れて見入ってしまいます。
丹精で美しい佇まいではあるのですが、内面から滲みでる強い意志のようなものが見え隠れします。それはロックな男、坂倉新兵衛の魂のようなものなのかもしれません。

萩焼の茶碗を語るときの代名詞として「萩の七化け」という言葉があります。陶土と釉薬の具合によって表面に生じる「貫入」と呼ばれる細かいひび割れが萩茶碗の特徴です。この貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶が浸透し、表面の色が変化していくのです。窯から出たところで完成ではなく、使いながらにして成長していく器、それが萩焼なのです。

この茶碗が使い込むことによって成長していくように、自分も歳を重ねる程に成長していきたい。萩茶碗を選ぶにあたりそんな思いもありました。そして十五代坂倉新兵衛というぼくが知り得るもっともロックな現代作家の作品を手にするということはつまり、自分も大きな壁に屈することなく、必ず乗り越えてやるという決意の表れでもあるのです。