「聴雨寒更尽(あめをきいて、かんこうつく)」という禅語の軸を目にする機会がありました。

「夜にぽつぽつとあたる雨の音を聴いていると、寒さが一層増すばかりよ」という意味だそうです。その軸にはここまでしか書かれていなかったのですが、この句には続きがあるそうです。

こうつながります。
「開門多落葉(もんをひらけば、らくようおおし)」

「朝になって外に出てみると、一面に落葉が広がっていた。」という意味になります。

昨日は、雨だと思って寒々しい思いをしていたけど、な~んだ落ち葉があたっていたものなのかよ!みたいな話ですね。

実にマルチメディア的な句だなあと思いませんか?

上の句は、表現の主をサウンドにおきながら脳内再生させて、下の句では表現の主をビジュアルに転換して脳内再生させます。

たった漢字5文字×2句でこれだけ豊かな音響と映像の表現が可能になるということに感銘をうけてしまいました。

さて、肝心の禅語的な教訓をどう解釈すれば良いでしょう?
あなたが辛い辛いと思っているそれは、実はそんなに大した話ではないのかもしれないよということでしょうか?それとも、何事もやり尽くしたその先に、道が開けるものですよということですかね?

いずれにせよ、解釈が一通りでないというか、言葉で定義するその先にあるものが禅語なのではないかと、最近うすうす感づいてきました。