よく掛け軸にもなっている禅語です。「関」とは関所のことで、この関所を超えた先には東西南北どこへでも行けるという意味だそうです。

禅の修行僧でなくても、現代人のぼくらにとってもぐっとくるお言葉です。
仕事で厳しい状況に置かれた時も、そこさえなんとか踏ん張れば、あとは自分の思うようになったりすることがあります。そこでふんばれるか、ふんばれないか?がその後の仕事人生を大きく左右することにだってなったりします。

毎回ふんばれるに越したことはないですが、ふんばれない時もたくさんあります。むしろふんばれない時の方が多いかもしれません。

そもそも、そんな一大事な時に人はなぜふんばることができないのか?

一言でいうと「信じられない」ということなのでしょう。
何のためにこんなことをしているのだろう?こんなことしたって意味がないんじゃないか?と疑った時点でふんばれなくなります。ぼくだって、ふんばり切れずに何度諦めたことか……。あの時、もう少しふんばってれば俺は今頃……と口惜しくなることも多々あります。

ここぞのふんばり所で、あきらめずにふんばり切るためにはどうすればいいのか?
それは、やはり信じるしかないのでしょう。そのふんばりの先には必ず希望があるのだと。

そのことを忘れないように、ここぞのタイミングで叫びましょう。「関!」と。