「飛露喜 初しぼり 特別純米かすみざけ」をいただきました。
福島の地酒と言えば、この飛露喜でしょう。福島という土地柄の意味性があってもなくても美味しいお酒です。

初しぼりの名の通り、今年もこうして新酒にありつけることに、自然に、酒蔵に、居酒屋に、そして肝臓に感謝です。

初しぼりであり、かすみ酒=にごり酒ですから、想像通りのフレッシュ感のお酒です。軽いと見せかけて、深い。深いと見せかけて、軽い。飲み口の印象と後口の印象のギャップがそうさせるのでしょう。この一筋縄でいかない美味しさが、飛露喜が酒飲みたちを魅了して止まない所以だと思います。

飛露喜を醸す廣木酒造は、江戸時代中期の創業だそうです。ただし、飛露喜を世に送り出したのは当代の廣木健司さんの代になってから。1996年、杜氏の引退をきっかけに、勤めをやめて蔵に戻ることにした廣木さんでしたが、すぐに先代の父が他界されたそうです。当時27歳の廣木さんはさすがに廃業も考えたものの、覚悟をきめて酒造りを始めたそうです。

そんな廣木さんの記事を読んでて感銘を受けたのが下記のような言葉です。

僕が目指す酒蔵像には、二つのイメージがあるんですよ。ひとつは会津の人が都会に就職して、心細い思いをしたときに飲んで故郷を誇りに思えるような酒であること。もうひとつは、結婚を決めた男が相手側へ挨拶するときに持っていきたいと思える酒であること。つまり、人の人生に寄り添える酒でありたいんです。

人の人生に寄り添える酒って、いいこと言うなぁと。嗜好品って、他にも色々あると思いますし、人によって様々だとは思います。でもその人の人生に寄りそうものっていう意味では共通なんですよね。で、それがまさに嗜好品の存在価値の核心だったりすると思う訳です。

そんな存在を目指すと言い切る男の醸す酒が不味いわけがないと。

業種はまったく違うのですが、ぼくもそんな仕事がしたいなぁと思わずにいられません。
人に寄り添う仕事がしたいんですよ。(キリッ)