お茶を初めて一年とちょっと。

自分の中で変わったなと思うのが、季節観です。

礼儀とかもてなしの心などの精神面だったり、お点前とか所作の技術面だったりは、もちろん多少は変わった(変わっててほしい)のですが、劇的に変わったなと思うのは、季節の移ろいに気がいくようになったことです。

お茶の稽古にいくと、床の間の軸が変わり、花が変わります。軸は大抵その季節にふさわしい禅語が掛けられます。花は先生が家庭菜園(?)で育てられた茶花が活けられます。花に季節感があるのは当然として、意外と一番利いてるのがお菓子です。和菓子って大抵、その季節の花や風物詩を模してつくられるものですから、否が応にも季節を意識させられます。

季節観に目覚めると何が起こるか?

ここからはちょっとポエムな話になりますが、世界が愛おしくなります。自分が愛おしくなります。

紅葉を見ながら、きれいだなあと感動し、それを愛でることができる自分の網膜に感謝します。
新酒を飲みながら、今年も新酒が飲めたなあと感動し、それを愛でることができる自分の肝臓に感謝します。
ヒラメのにぎりを食べたながら、やっぱりカレイよりヒラメだよなあと感動し、それを愛でることのできる自分の胃袋に感謝します。

自然の恵みを思う存分享受して、自分の存在と健康に感謝します。

自然万歳。自分万歳です。

この世界が愛おしくてたまらない。切なくてたまらない。
ロマンチックが止まりません。ぼくの季節観ってそんな感じです。