水急不流月 (水急なれども月を流さず)

という禅語があります。

「水は絶えず流れて行くけれども、水面に映った月は流れずにそこにある」という意味です。

「世の中はどんどん変わっていくけれども、本当に大切な真理は変わらずにそこにある」と解釈するのだそうです。ありがたいお言葉です。ネット社会の進化による情報洪水とともに生きる我々現代人だからこそ、より一層心に沁みる格言ではないでしょうか?

でもぼくは、その解釈を知る前に最初に思ったのは、まったく逆のことでした。
川が流れ変わっていくことが真理であって、留まっている月が幻影でないかと考えてしまいました。

ああなりたい、こうなりたい、あれ欲しい、これ欲しいみたいな煩悩の象徴としての月。その月はどこの川にも映ります。つまりだれの心の中にも映るものです。人はそれに執着することに右往左往しながら人生を費やすのです。川に映った月なんて手に入るはずもないのに。そうこうしているうちに世界は常に変わり続けるのです。自分が好むと好まざるとに関わらず、望むものを何も手に入れることなく一生を無意味に過ごすのです。

嗚呼、無常。嗚呼、無情。なんて、残酷なこの世界よ!

と黄昏てしまいましたよ。せっかくのありがたい格言なのに間違って解釈すると、まったくありがたくないですね。