庄野順三の「夕べの雲」です。

丘の上に引っ越してきた5人家族の日常が描かれます。そこに事件という事件は何もおこりません。

不倫も、暴力も、殺しも、セックスも、ドラッグもありません。夫婦喧嘩すらありません。敵も味方も登場しません。敵とも味方とも言えない人はたまに登場します。

この小説の中で綴られるエピソードは些細な日常です。風が強いとか、工事が始まったとか、宿題やったとか、テレビ見たとか、梨買ったとか、風邪ひいたとか、そんな話が延々と続きます。あまりにも退屈な日常シーンばかりなので、ムカデが天井から落ちてきたときにはちょっとハラハラしましたが、まぁその程度です。

見事に何にもおきません。起承転結的な展開もありませんし、もちろん話のオチもありません。(落語じゃないからオチはなくてもいいですけど)

なんにもない。でもそこには何かがある。そんな気配がします。

ここで描かれる家族の風景を読みながら、ぼくは自分の家族と過ごした時間を思い出します。

――平凡な日常がいかに幸せなものであったことか。

そうした幸せはその時の当事者は気づきにくいものです。「過去」になって懐かしんだ時に、それがなんと幸せであったことかと初めて気づくのでないでしょうか。

「夕べの雲」というタイトルも、時間が経つと変わってしまう流れる雲を見ながら思いついたそうです。

今そこにはあるのに変わってしまうもの。そんなはかないものを新鮮なままパックしてここに用意しましたよ。
さぁ召し上がれ。
そんなふうに庄野順三が言っているようでもあります。

8月6日というこの日だからこそ余計に、幸せって切ないなぁと思うのでありました。