芥川龍之介の「藪の中」という短編があります。

藪の中で死体が見つかる。容疑者とその目撃者の証言がつづられる。最後まで読めば真犯人がわかるのかと思いきやわからない。

主要な登場人物は3人。
盗賊。盗賊に縛り付けられる男。その妻。

藪の中で発見された死体の主は、縛りつけられた男です。この男は死ぬ前に眼前で盗賊に妻が犯されます。泣きっ面に蜂どころじゃないですね。

で、だれが殺したのか?
主要登場人物である三人が文字通り三者三様に自分が真犯人だと主張します。
(死んだ夫は、イタコが呼び寄せると自害したと主張)

結局だれが真犯人だよ?答えは最後まで読んでも結局わかりません。何度読み返してもいろんな解釈ができるので確信をもって結論付けることはできません。

だれが嘘をついて、だれが本当のことを言っているのか?
ぼくは三者三様に自分の価値感をモノサシに、自分にとっての本当のことを語っているのではないかと思うのです。
自分のモノサシでいうと、やつを殺したのはオレだ!わたしよ!いやこのオレだ!と。

自分という存在のモノサシがあってはじめて世界が存在する。その自我と世界の認識こそが芥川が提起したかったものではないかと思うのです。

自分の世界と他者の世界は違うのです。
自分のモノサシで世界を見ること。それは、この世界は自分のためにあるのだと認識することでもあると思うのです。
自分の人生は自分のもの。もっと言うと他人の人生すら自分のものなのかもしれません。

この世界が自分のものであり、自分によって形作られたものだとするならば、真相は藪の中でなくて僕の中、か?

さて、我が人生この先どうしたものよ?と思い悩む真夏の夜なのでありました。